東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近)
鉄道連続立体交差化工事(主に土木関係)の経過
その1・1972〜2011年
(着工に至るまでの主な出来事のみ抜粋)

作成・半沢一宣(竹ノ塚駅西口・在住)

資料(順不同)
足立区役所都市建設部鉄道立体化担当課作成の資料
足立区議会事務局作成の資料
足立区議会交通網・都市基盤整備調査特別委員会での傍聴記録
各工区工事事務所作成・提供の資料
『竹ノ塚踏切死傷惨事と竹ノ塚駅付近鉄道連続立体交差化事業関連の年表』
(半沢一宣・編著、2012年・発行)

1972(昭47)年
4月4日(火)

足立区議会交通対策特別委員会で「東武鉄道・高架線を竹の塚駅まで延長要請に関する請願」が採択される(足立区議会資料)

1979(昭54)年
11月9日(金)

竹の塚中町会が足立区議会に「竹の塚踏切高架に関する請願」を提出。署名人数8,088名。翌1980年6月28日に採択される
(足立区議会資料。足立区都市整備部(現・都市建設部)の資料では、署名提出日が1980(昭55)年7月7日となっている)

1985(昭60)年
4月25日(木)

この日発行されたタウン誌『竹の塚百景』第9号に、竹ノ塚駅西口在住の尾形健次郎氏が「東武鉄道専務」の肩書を明記のうえ『輸送力増強に全力』の題で寄稿。この中で「鉄道を高架化することは…西新井車庫に近いため急勾配になってしまうこと」から「物理的に不可能に近い」と記述
(実際には、1961年に開業していた営団地下鉄日比谷線南千住〜三ノ輪間の39‰の勾配率の範囲内で高架線の設計が可能であること、すなわち尾形氏の「急勾配になってしまう」云々の説明が虚偽であったことが、2005年の踏切事故発生後の半沢の解析によって判明。半沢は、この点を糾す公開質問状を内容証明郵便で東武鉄道へ送ったが、東武鉄道は「警察の捜査に影響する」として回答を拒否。したがって東武鉄道は、半沢からの指摘に敢えて回答・反論しなかったことにより、上記・尾形氏の記述が虚偽であったことを、暗黙のうちに認めたものと考えられる)

1987(昭62)
年度

踏切改良整備計画調査(赤山街道・道路立体交差化調査)を実施
(足立区都市整備部資料)

1998(平10)年
9月30日(水)

東武鉄道が『東武鉄道百年史』を発行。この中で、昭和40年代の北千住〜竹ノ塚間複々線化の際に西新井〜竹ノ塚間を高架化しなかった理由について「西新井工場や営団竹ノ塚検車区への入出庫…との整合を図ったものである」(p.728)、「竹ノ塚には営団の竹ノ塚検車区(旧当社西新井電車区)もあったからである」(p.822)と、東武鉄道側の都合が主因であったことが明記される

2000(平12)年
11月〜
2001(平13)年
5月

地元関係者が、国・東京都・足立区へ鉄道高架化に係る働きかけ。足立区と東京都で調整の結果、事務レベルでの検討会を設置することになる(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
6月14日(木)

足立区まちづくり推進本部の鉄道立体交差化検討部会の分会として「竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」が設置される。以後、2001(13)年7月10日から2003(15)1030日までの間に計6回開催される(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
11月12日(月)

淵江町会自治会連合会と伊興区民事務所管内町会自治会連絡協議会が、東武線竹ノ塚駅付近の鉄道高架化に関する要望書を足立区長に提出。署名人数53,929名(足立区都市整備部(現・都市建設部)資料)

2003(平15)年
6月9日(月)

地元住民の有志が、第37号踏切の実態調査を実施。朝7時30分から8時30分までの1時間に踏切が開いたのは、最長50秒〜最短10秒の12回、合計開放時間は5分であった(2003年9月25日の足立区議会本会議録による)

2005(平17)年
3月15日(火)

16時50分、竹ノ塚駅南側の「伊勢崎線第37号踏切」で、上り準急列車の接近を失念した踏切保安係が誤って遮断機を上げたため、踏切を渡り始めた歩行者4名が準急列車にはねられ、2名が死亡、2名が重傷を負う事故が発生。
後に開かれた踏切保安係の刑事裁判では、踏切の遮断時間が長いことに対する通行人からの苦情を緩和する目的で、遮断機誤操作による事故を防止するための自動ロックを解除する通称「赤ボタン」を常用して踏切を開ける取扱方が1970年代から常態化していたことや、歴代の竹ノ塚駅長(嫌疑不十分で不起訴)が上記・踏切保安係の「赤ボタン」常用を黙認し続けていた事実があったことなどが明らかにされる

2005(平17)年
3月28日(月)

竹ノ塚駅東西の町会自治会連合会が、東武伊勢崎線の高架化を求める署名活動を開始。足立区全域で集めた署名の累計は、同年8月12日(金)に足立区長へ提出された分までで216,993筆(足立区の人口の3分の1に相当)

2005(平17)年
5月20日(金)

竹ノ塚駅東西地域の町会・自治会連合会が「竹ノ塚駅鉄道高架化早期実現の会・総決起集会」を開催

2005(平17)年
9月30日(金)

足立区、足立区議会、地元町会自治会連合会が「竹ノ塚駅付近鉄道高架化促進連絡協議会」の結成大会を開催
(以後、2011年まで毎年1回のペースで開催される)

2005(平17)年
12月20日(火)

国土交通省が、東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近を念頭に、鉄道連続立体交差事業の採択基準の拡充を発表
(都道府県道の踏切を除却できることが採択要件に含まれていたのを撤廃=市区町村道だけでも可能にする、など)

2006(平18)年
3月15日(水)

竹ノ塚駅付近鉄道高架化促進連絡協議会が、踏切事故の犠牲者への慰霊式を行う(事故発生時刻の16時50分に合わせて第37号踏切の横で黙祷、献花など。以後、2015年まで毎年3月15日に開催。2016年以降は足立区幹部職員と遺族のみによる慰霊式として開催)

2006(平18)年
3月31日(金)

国土交通省が、竹ノ塚駅付近の東武伊勢崎線の連続立体交差事業を新規採択する

2006(18)
4月1日
()

改正・踏切道改良促進法が施行される。これにより、それまで鉄道連続立体交差事業は都道府県が事業主体となる必要があったものが、市区町村が事業主体となって実施することが可能となった。
この法改正を受けて、足立区が、東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近の鉄道連続立体交差事業の事業主体となることを表明した

2007(平18)年
3月30日(金)

国土交通省が、竹ノ塚駅付近の東武伊勢崎線の連続立体交差事業を新規着工準備箇所として採択する

2011(平23)年
3月31日(木)

東京都と足立区が、竹ノ塚駅付近の東武伊勢崎線高架化と、関連する道路・駅前広場の整備などを、都市計画として正式に決定する

2011(平23)年
4月15日(金)

この日発行されたタウン誌『あだち百景』第105号に、伊興東町会第3代会長の田中威(たけし)氏が「伊興東町会40年の歩みが語る足立あの頃」の題で寄稿。この中で「(昭和54年9月に東武伊勢崎線の竹ノ塚駅北側〜国道4号草加パイパス間が高架化された際)竹ノ塚駅も高架にするよう要望したことがありました。その時の説明では、勾配を作ると前沼(半沢注・大境の誤り)にある日比谷線の車庫から竹ノ塚駅まで、電車が上がらなくなるということでした。当時はモーターの性能が低かったのでしょうね」と記述。上掲・1985年の『竹の塚百景』第9号での尾形氏の記事による虚偽の風説が、地域住民に浸透していた事実があったことを裏付ける記事

2011(平23)年
12月20日(火)

東京都が足立区に対し、東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近の高架化事業を認可