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竹ノ塚駅付近の鉄道高架化を目指した地元の取り組みの記録 総目次
竹ノ塚踏切事故と東武伊勢崎線高架化事業の年表 目次
竹ノ塚踏切事故と東武伊勢崎線高架化事業の年表 その1・踏切事故発生までの経過


竹ノ塚踏切事故と東武伊勢崎線高架化事業の年表
(その1・踏切事故発生までの経過)

作成・半沢一宣(2008年6月30日時点で集計)

資料(順不同)
『東武鉄道百年史』東武鉄道株式会社、1998(同書から引用した項目では、書名を『百年史』と略記しました。「資」は同書資料編のページ数です)
「列車運行図表」(業務用列車ダイヤ)各ダイヤ改正日のもの 東武鉄道株式会社
『東武線時刻表』不定期刊、東武鉄道株式会社鉄道事業本部営業部旅客サービス課(当時)
『明治前期関東平野地誌図集成』地図資料編纂会・編集、柏書房、1989
『目で見る足立・荒川の百年』郷土出版社、2005
『竹の塚百景』(タウン誌)季刊、キヌタ企画
『鉄道ジャーナル』月刊、鉄道ジャーナル社
『マンスリーと〜ぶ』東武鉄道広報センター、月刊
足立区都市整備部(立体化担当)および足立区議会事務局作成・提供の資料
新聞各紙の記事

 

〜江戸時代

赤山街道(あかやまかいどう、伊勢崎線第37号踏切を横切る道路)と流山道(別名・権現堂道、伊勢崎線第38号踏切を横切る道路)が整備される(『竹の塚百景』通巻第6号p.10、および同78号p.8)

1880(明13)年

この年に発行された『第一軍管地方迅速測図・川口町』(参謀本部陸軍部測量局・作成)初版に、赤山街道と流山道(権現堂道)が書き込まれる(『明治前期関東平野地誌図集成』p.128)

1899(明32)年
8月27日

伊勢崎線北千住〜久喜間開業。このとき第37号踏切と第38号踏切が設置される(『百年史』資p.326。踏切番号は後年つけられたもの)

1900(明33)年
3月21日

竹ノ塚駅開業(『百年史』資p.201)

1920(大9)年
3月5日

西新井〜草加間複線化により、浅草(現・とうきょうスカイツリー)〜草加間が複線化(『百年史』資p.338)

1924(大13)年
10月1日

浅草(同上)〜西新井間電化、西新井電車庫(西新井電車区の前身)および西新井第三工事科(西新井工場の前身)開設(『百年史』p.687、資p.342)

1925(大14)年
10月1日

西新井〜越谷間電化延伸により、浅草(同上)〜越谷間が電化(『百年史』資p.342)

1952(昭27)年
11月1日

西新井電車区が竹ノ塚(現・東京メトロ竹ノ塚検車区所在地)に移転してくる(『百年史』資p.364)

1955(昭30)年
?月

西新井工場が浅草工場と合併、1963(昭38)年にかけて拡張工事が行われる(『百年史』p.687)

1961(昭36)年
11月7日

踏切道改良促進法施行(『百年史』資p.377)

1962(昭37)年

遅くともこの年までに、第37号踏切と第38号踏切が手動式(第1種乙)踏切とされる(『読売新聞』2005年4月2日夕刊)

1962(昭37)年
?月

竹ノ塚駅が橋上駅舎化される(『目で見る足立・荒川の百年』p.130)

1962(昭37)年
5月31日

営団地下鉄(当時、現・東京メトロ。以下同じ)日比谷線との相互直通運転開始(当初は北越谷〜人形町間、その後順次直通運転区間を延伸。『百年史』資p.378)

1965(昭40)年
4月1日

赤山街道が都道から区道に変更される(都道の一括移管の一環。足立区土木部道路管理課道路認定係の資料による)

1965(昭40)年
8月?日

伊勢崎線五反野〜梅島間「伊勢崎線第28号踏切」(国道4号線・日光街道)で死傷事故発生(『百年史』p.749)

1965(昭40)年
9月?日

野田線野田市〜梅郷間「野田線第175号踏切」、および伊勢崎線久喜駅構内「伊勢崎線第175号踏切」で死傷事故発生(『百年史』p.749)

1966(昭41)年
9月1日

春日部電車区(現・南栗橋車両管理区春日部支所)使用開始に伴い、西新井電車区が営団地下鉄に譲渡され、竹ノ塚検車区となる(『百年史』p.730)

1966(昭41)年
9月22日

伊勢崎線越谷駅構内「伊勢崎線第79号踏切」で特急列車と東武鉄道の乗合バスが衝突。この事故後、東京陸運局長から「東武鉄道運転事故に関する警告」が出される(『百年史』p.750)

1967(昭42)年
?月

第37号踏切南側の歩道を拡幅(見沼代用水の暗渠化。足立区土木部道路管理課道路認定係の資料による)

1968(昭43)年
3月?日

国道4号線草加バイパス開通(日光街道、竹ノ塚〜谷塚間の都県界付近で東武伊勢崎線をオーバークロスする道路。年月は橋桁の銘板による)

1968(昭43)年
3月30日

五反野〜梅島間高架化により、国道4号線(日光街道)との平面交差を解消(伊勢崎線第28号踏切の廃止。『百年史』pp.724〜728)

1968(昭43)年
4月1日

伊勢崎・日光線浅草〜新栃木間でATS(自動列車停止装置。点制御パターン式)の使用を開始(『百年史』p.755)

1969(昭44)年
8月?日

都道環状7号線開通(西新井駅北側で東武伊勢崎線をオーバークロスする道路。年月は橋桁の銘板による)

1970(昭45)年
3月?日

北千住〜竹ノ塚間複々線化工事施工認可(『百年史』p.823)

1970(昭45)年
11月16日

東武鉄道本社に「踏切保安室」を設置(『百年史』p.753)

1971(昭46)年
12月?日

竹ノ塚跨線人道橋開通(この歩道橋のすぐ西側にある足立区立第十四中学校で、朝ラッシュ時の踏切待ちによる生徒の遅刻の多発が問題化したことにより設置された。東武鉄道は当時、混雑を理由に十四中生の竹ノ塚駅自由通路通り抜けを禁止していた。年月は橋桁の銘板による)

1972(昭47)年
4月4日

足立区議会交通対策特別委員会で「東武鉄道・高架線を竹の塚駅まで延長要請に関する請願」が採択される(足立区議会資料)

1972(昭47)年
11月11日

踏切集中監視装置を導入(無人踏切のみが対象。『百年史』p.756)

1973(昭48)年
8月17日

足立区議会議長が東武鉄道社長に「東武伊勢崎線西新井以遠区内全線立体交差化に関する要望書」を提出(『昭和48年度足立区議会概要』p.77)

1974(昭49)年
5月?日

小菅駅(荒川放水路橋梁北詰)〜西新井駅南側間の連続高架化完成
(『百年史』p.823)

1974(昭49)年
7月2日

北千住〜竹ノ塚間複々線使用開始(22日まで旧ダイヤで運転、23日にダイヤ改正。『百年史』p.823およびp.827)

1974(昭49)年
10月?日

栗六陸橋開通(区道補助260号線。年月は橋桁の銘板による)

1979(昭54)年
8月30日

竹ノ塚駅北側〜草加バイパス間高架化により、区道補助262号線との立体交差化(『百年史』資p.406)

1979(昭54)年
11月9日

竹の塚中町会が足立区議会に「竹の塚踏切高架に関する請願」を提出。署名人数8,088名。翌1980年6月28日に採択される
(足立区議会資料。足立区都市整備部の資料では、署名提出日が1980(昭55)年7月7日となっている)

1985(昭60)年
4月25日

この日発行されたタウン誌『竹の塚百景』第9号に、竹ノ塚駅西口在住の尾形健次郎氏が「東武鉄道専務」の肩書を明記のうえ「輸送力増強に全力」の題で寄稿。この中で「鉄道を高架化することは…西新井車庫に近いため急勾配になってしまうこと」から「物理的に不可能に近い」と記述。西新井車庫とは現在の東京メトロ竹ノ塚車両基地が東武鉄道所有だった時代の名称

1986(昭61)年
ごろ

竹ノ塚跨線人道橋に自転車用スロープが設置される
(足立区に残っている図面の記録と、隣接する都営アパートの完成銘板とを照合して時期を推定)

1987(昭62)
年度

踏切改良整備計画調査(赤山街道・道路立体交差化調査)を実施
(足立区都市整備部資料)

1988(昭63)
年度

区内鉄道沿線地区交通体系整備計画調査を実施
(鉄道高架化による立体交差化の概略検討。足立区都市整備部資料)

1988(昭63)年
8月9日

竹ノ塚〜草加間高架複々線化完成に伴うダイヤ改正。日中の準急列車がそれまでの毎時片道4本から6本に増発される(『百年史』資p.424)

1989(平元)〜
1990(平2)
年度

足立区鉄道沿線地域整備計画調査を実施(連続立体交差事業の検討と沿線市街地整備調査。足立区都市整備部資料)

1990(平2)年
3月?日

栗原立体交差地下道開通
(区道補助258号線。年月は地下道西側の碑文による)

1991(平3)
年度

竹ノ塚駅周辺鉄道沿線地域整備計画調査を実施
(足立区都市整備部資料)

1993(平5)年
4月1日

業平橋〜東武動物公園間で貨物列車全廃
(『鉄道ジャーナル』1993年5月号p.100)

1994(平6)年
8月2日

遅くともこの日のダイヤ改正までに、東武伊勢崎線浅草口での旧型車両(5000系)の運用が廃止され、一般列車の最高速度が引き上げが実施される(複々線区間の上下急行線列車では100km/h化。『列車運行図表』による)

1996(平8)年
7月23日

北千住駅改良工事一部完成に伴うダイヤ微修正(東武線ホームと営団地下鉄日比谷線ホームとを立体化により分離し着発線を増加。『百年史』資p.446)

1996(平8)年
?月

第37号踏切北側の歩道を拡幅(見沼代用水の暗渠化。足立区土木部道路
管理課道路認定係の資料による)

1997(平9)年
3月25日

草加〜越谷間高架複々線化と北千住駅改良工事の完成に伴うダイヤ改正。区間準急列車を毎時片道2本新設(純増)、土曜・休日ダイヤを施行(『百年史』資p.448、『東武線時刻表』)

1999(平11)年
11月?日

第37号踏切で、踏切保安係が遮断機早上げ防止装置の解除ボタンを誤操作して遮断機を上げてしまったことによる列車非常停止事故が発生した(死傷者なし)が、竹ノ塚駅長は本社に「歩行者が踏切内に滞留しそうになったため遮断機を下ろせなかった」旨の虚偽の報告を行う。2000年11月にも同様の事故が発生し、同様の虚偽報告が行われていた(『読売新聞』2005年6月25日朝刊江東ローカル面)

2000(平12)年
7月7日

建設省(当時)都市局・道路局により、踏切道等総合対策事業が創設される(足立区都市整備部資料)

2000(平12)年
8月23日

足立区まちづくり推進本部に、鉄道立体交差化検討部会が設置される
(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
1月?日

東武鉄道役員が足立区長を訪問し、竹ノ塚駅ビルの耐震対策(従来の10階建てを3階建てに)・リニューアル実施を表明(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
3月28日

越谷〜北越谷間高架複々線化完成に伴うダイヤ改正(『東武線時刻表』)

2001(平13)年
6月14日

足立区まちづくり推進本部の鉄道立体交差化検討部会の分会として「竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」が設置される
(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
7月10日

「第1回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催
(駅周辺地域の現状報告/検討の必要性の共有/検討会の設立承認)
(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
11月12日

淵江町会自治会連合会と伊興区民事務所管内町会自治会連絡協議会が、東武線竹ノ塚駅付近の鉄道高架化に関する要望書を足立区長に提出。署名人数53,929名(足立区都市整備部資料)

2001(平13)年
11月13日

「第2回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催
(駅周辺地域の現状/東武伊勢崎線の現状/駅周辺地域の将来構想/
踏切対策の必要性の認識)(足立区都市整備部資料)

2002(平14)年
2月14日

「第3回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催
(駅周辺地域将来構想(細部)/今後検討すべき事項の抽出)
(足立区都市整備部資料)

2002(平14)年
5月29、31日

「第4回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催
(今後検討すべき課題の整理)(足立区都市整備部資料)

2002(平14)年
11月18日〜
2003(平15)年
3月25日

竹ノ塚駅周辺地域鉄道高架化関連の基礎調査が委託実施される
(主な調査内容 交通量調査(主な道路と踏切/現状と将来予測)/道路立体案、鉄道立体案作成/道路立体案と鉄道立体案の比較検討/適用事業制度の検討/今後検討すべき事項の抽出と整理)
(足立区都市整備部資料)

2003(平15)年
3月19日

営団地下鉄半蔵門線との相互直通運転開始に伴うダイヤ改正。
区間準急を半蔵門線直通列車とし、それまでの毎時片道2本から3本に増発したのと引き換えに、普通列車をそれまでの同8本から6本に削減(『東武線時刻表』)
東武鉄道が業平橋駅構内「伊勢崎線第2号踏切」を自動(第1種甲)化。これにより、東武鉄道における手動(第1種乙)踏切は足立区内の3ヶ所のみとなる(2003年3月当時、半沢が現地で確認)
竹ノ塚踏切惨事の事故当事者となった元踏切保安係は、このとき竹ノ塚の踏切に異動してきた

2003(平15)年
3月24日

「第5回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催
(交通量調査結果の報告/道路立体案と鉄道立体案の比較検討)
(足立区都市整備部資料)

2003(平15)年
10月30日

「第6回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催
(市街地の現状把握/今後検討すべき課題の抽出)
(足立区都市整備部資料)

2004(平16)年
3月

竹ノ塚駅周辺地域鉄道高架化関連の基礎調査委託(その2)実施

2004(平16)年
3月31日

西新井工場閉鎖(南栗橋車両管理区に業務移転)
(『鉄道ジャーナル』2004年6月号p.95)

2004(平16)年
4月1日

帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が民営化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)が発足

2004(平16)年
7月14日

「第7回竹ノ塚駅周辺地域道路・鉄道立体化検討会」開催(竹ノ塚駅周辺道路整備に係る課題/鉄道立体化に伴う道路網整備案)(足立区都市整備部資料)