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上掲PDFファイルの誤植について
交通権学会誌『交通権』第40号(2023年)所収論文
新幹線の喫煙ルームの廃止を求めた訴訟で見えてきた
―「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」が An exposure of omission of Japan Railways companies 半沢一宣 HANZAWA Kazunori 筆者は2008〜2013年、JR旅客6社へ鉄道施設内の完全禁煙化を求める要望活動に参加したことがある。 その後、2019年に山陽新幹線「のぞみ」の車内で、受動喫煙を巡って喫煙者とトラブルになり、仲裁に入った車掌からも「受動喫煙を我慢できないほうが悪い」とする扱いを受けた。 筆者は上記の要望活動に関わった当事者として、このまま引き下がってJRが今後も受動喫煙の防止を怠り続けることを容認すると言う間違ったメッセージを送る訳には行かないため、昔から鉄道を愛してきたレールファンとしては不本意ながら、標記の訴訟を提起せざるを得なかった。 この訴訟は、筆者がこれまでに蓄積してきた嫌煙権と交通権に関する問題意識【注1】を、司法の場で問う機会にもなった。 本稿では、この訴訟について主に疫学的・法律的視点から解説すると共に、本件訴訟を通して明らかになった、受動喫煙防止に係るJRの問題点を指摘したい。 医学系の学術団体の横断組織「一般社団法人禁煙推進学術ネットワーク」が、JR旅客6社と関西大手私鉄4社に対して、鉄道施設内(駅構内および列車内)の完全禁煙化を求める要望活動を、2004〜2013年に計7回実施した【注2】。 筆者は産業医科大学の大和浩教授(健康開発科学)からの依頼で、2008年(4回目)以降、全国の鉄道施設内における禁煙化の進捗状況や受動喫煙の発生状況などに関する現地調査と、各社へ送る要望書の執筆・校閲の補助を担当した。 この一連の要望書では、疫学研究の進歩に伴う最新の学術的知見を根拠データとして引用することで、完全禁煙化の必要性を指摘する構成としていた。 2008年(4回目)の要望書では、2007年に就役したN700系の営業列車でタバコ煙が喫煙ルームからデッキや客席へ漏れ出ている測定実験を行った結果を示し、喫煙ルームには受動喫煙を防止する効果が無いことを指摘した。 【図1、2】N700系の喫煙ルームからのタバコ煙の漏れの測定結果。2007年9月8日の「のぞみ28号」7号車で実施。上の【図1】は粉じん計の設置場所を○印で示した物。下の【図2】が測定結果のグラフで(縦軸が粉じん濃度、横軸が時間経過)、人が喫煙ルームへ出入りするのに連動してデッキや客室でも粉じん濃度が上昇していることを示している。大和浩「わが国と世界各国における職場の喫煙対策の現状とその効果」(『産業医学レビュー』通巻89号(産業医学振興財団、2010年第8号)pp.59-82)からpp.74-75の【写真1】【図13】を引用。これらの図は 2008年のJR西日本宛要望書【甲1号証】、JR東海宛要望書【甲11号証】 などにも掲載。なお7号車の喫煙ルームは2022年3月に閉鎖され、今後ビジネスブースへ順次転用される。また上掲論文では【図2】で人が喫煙ルームへ出入りするのに連動してデッキや客室でも粉じん濃度が上昇する理由の1つとして、次に記す残留タバコ煙の存在にも言及している。 2010年(5回目)の要望書 からは「残留タバコ煙に起因する受動喫煙」と「三次喫煙」 (Third-hand Smoke) の問題も指摘するようになった。 残留タバコ煙とは、喫煙を終えた直後の人の肺の中に充満(残留)しているタバコ煙のことである。この煙は、喫煙者が呼吸するのに合わせて少しずつ、呼気と共に吐き出される。この残留タバコ煙を含む呼気を周囲の人が否応なく吸わされる現象が「残留タバコ煙に起因する受動喫煙」である。家族など身近な人に喫煙者がいる場合、喫煙所から戻ってきた相手の「息がタバコ臭い」と感じることがあると思うが、そう感じたときには既に残留タバコ煙に起因する受動喫煙に晒された状態である。 また三次喫煙とは、喫煙室のようなタバコ煙濃度が極めて高い空間で衣服や頭髪に染み込んだタバコ煙が、喫煙終了後も揮発性の有害物質を放出し続け、それを周囲の人が否応なく吸わされる(いわゆる「服や髪がタバコ臭い」)現象のことである。 2010年以降の要望書では、東海道〜山陽〜九州新幹線で運行するN700系車両の喫煙ルームの廃止(閉鎖)を求める理由の1つとして、これら残留タバコ煙に起因する受動喫煙や三次喫煙の防止の必要性を追加した【注3】。しかし東海・西日本・九州のJR3社は、新幹線列車内の喫煙ルームの廃止に応じないまま、今日まで喫煙ルーム付の車両を増備・運行し続けている。 【図3】喫煙者の呼気に含まれる残留タバコ煙にレーザー光線を当てて可視化した画像。大和浩教授が撮影した動画から引用。動画は【甲56号証】、画像は【甲66号証】。 【図4、5】喫煙終了後の喫煙者の呼気に含まれるタバコ煙(残留タバコ煙)濃度の測定実験結果。上の【図4】では一山の面積が残留タバコ煙の量に相当し、喫煙終了後1〜2呼吸目の呼気には約 10mg/m3 の PM2.5(浮遊粉じん)が含まれていることを示している。下の【図5】は【図4】の一山を呼気に含まれる粉じん量としてグラフ化したもので、喫煙終了から約30回目まで(呼吸間隔を5秒として150秒=2分半)の呼気にタバコ煙が継続して含まれている、すなわちこの2分半の間は喫煙者の周囲で残留タバコ煙に起因する受動喫煙が発生することを示している。【図4】は上掲「わが国と世界各国における職場の喫煙対策の現状とその効果」の【図14】から引用。【図4、5】とも大和浩教授が作成した意見書【甲66号証】へ引用。 2019年8月6日(火曜日)、広島原爆忌関連の所用を終えた筆者は、広島17:03 発東京ゆき「のぞみ138号」(JR東海が保有するX43編成で運転)の11号車13 番A席(普通車指定席、車両最前列の窓側)に乗車していた。 岡山駅を発車して数分後、後方から歩いて来た男性が、筆者の隣のB席に座った。この男性の息が強烈にタバコ臭かったため、筆者はたちまち呼吸困難に襲われた。岡山駅を発車してから、この男性が席へ来るまでに数分間のタイムラグがあったことから、男性は岡山駅で乗車してまず10号車の喫煙ルームで喫煙し、それからB席へ来たのだろうことは、容易に推定できた【注4】。 筆者は十数秒で息苦しさと不快感を我慢できなくなり、この男性に「喫煙ルームで何本タバコを吸ってきたら息がこれほどタバコ臭くなるのですか?」と問いかけた。 すると喫煙客は「喫煙ルームで喫煙してきて何が悪い、文句があるなら(隣に誰も来ないよう)2席買え、俺を不快にさせたお前のほうが悪いのだから、お前が他の席に行け」などと筆者を恫喝してから、8号車の車掌室へ向かった。 数分後、JR西日本・博多新幹線車掌所所属のA指導車掌(胸章に記載の肩書)が、仲裁にやってきた。A車掌は「相手(B席の男性)は激高しており説得が難しい、お客様(筆者)は冷静なので、穏便に済ませるため、お客様に席の移動をお願いしたい」と、筆者の言い分を聞こうともせず、一方的に席の移動を指示した。 つまりA車掌は、残留タバコ煙に起因する受動喫煙の強要=「煙の暴力」による健康被害を受けた筆者の不快感については一切考慮せず、「受動喫煙を我慢できないほうが悪い」とするB席の男性の言いなりになって、B席の男性の味方についてしまったのである。 筆者は声の大きさなら簡単には負けない自信があるが、それでは列車内の秩序(静穏)を乱し他の乗客に迷惑をかけてしまうため、大声を出すのを我慢していたのだが、そこをA車掌に付け込まれてしまったわけである【注5】。 筆者は後日、東海、西日本、九州のJR3社へ「のぞみ138号」でのトラブルについて申告し、残留タバコ煙に起因する受動喫煙と、これに起因する乗客同士のトラブル(場合によっては暴力行為などの犯罪に発展しかねない)との再発を防止すべき観点から、改めて喫煙ルームの廃止を求める要望書を送ったが、3社とも要望には応じない旨の回答書を送ってきた【注6】。 このことから筆者は、上記3社について、残留タバコ煙に起因するものも含む受動喫煙の防止に努めるべき、健康増進法第26条で定められた責務を意図的に怠り続けている「未必の故意」ならぬ「未必の不作為」【注7】の事実があることを示す証拠が揃ったと判断し、上記の3社を相手取り、 @すべての新幹線車両の喫煙ルームの廃止(閉鎖) A筆者が支払った「のぞみ138号」の運賃・新幹線特急料金の返還 BA車掌の失行(間違った対応方、過ち)によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料の支払い【注8】 を求める訴訟を提起した(@は3社に対して、AとBはJR西日本に対して)。 1.JRが新幹線列車内の喫煙ルームを存置し続けるのは、新幹線利用者の「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」を侵害し続けることである 「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」【注9】とは、嫌煙権(有害な受動喫煙を拒み自らの健康を守る権利)と、交通権(必要に応じて目的地へ移動することを妨げられない権利)とを組み合わせた概念であり、 日本国憲法第13条 で保障された人格権(幸福追求権)の一形態である【注10】。 そして「残留タバコ煙に起因する受動喫煙」は、健康増進法第28条の3 で言う受動喫煙の定義「人が他人の喫煙によりたばこから発生した煙にさらされること」以外の何物でもない。喫煙終了後の肺の中に残っているタバコ煙も「喫煙によりたばこから発生した煙」であることに変わりは無いからである。 したがって 同法第26条 により、新幹線の管理権原者であるJRには、新幹線の列車内や駅構内における(残留タバコ煙に起因するそれを含む)受動喫煙の防止に努めるべき義務が所在していることになる。 ところがJRは、喫煙者が、別枠で用意されている喫煙ルーム付近席ではなく敢えて(望まない受動喫煙を避けたい人も利用する)一般の禁煙席を予約し乗車してしまうことを防ぐための対策を、何も講じていない。 指定席券売機で表示されるシートマップでも、発売済みのどの席を購入しているのが喫煙者かの情報は表示されない。 ましてや、望まない受動喫煙を避けたい人が、自分の後から指定席を購入する喫煙者に対して、自分の近くの席を購入しないよう求める手段は無い。 このため現状では、望まない受動喫煙を避けたい人が、喫煙者と近くの席に乗り合わせてしまう(残留タバコ煙に起因する受動喫煙=「煙の暴力」を強要される)のを未然に避ける術が無いのである。 【図6】指定席券売機で表示されるシートマップの一例(「のぞみ号」の11号車)。左下隅の1番A席が発売済みを示すグレー表示になっているが、この席を購入したのが喫煙者か否かの情報は表示されていない。これは指定席を予約しようとする人が、自分がこれから選ぼうとする席の近くの席を先に予約している人が喫煙者か非喫煙者かがわからない、すなわち残留タバコ煙に起因する望まない受動喫煙を避けたい人と喫煙者とが近くの席に乗り合わせてしまうことを防げないことを意味している。右下の12・13番AB席は車いすの人とその同伴者のための席で、指定席券売機では前日まで発売対象外(2020年当時)。指定席券売機で新幹線の喫煙ルーム付近席を購入する際の操作手順を説明した【甲40号証】の17頁から引用。(筆者撮影)
JRが旅客を目的地(乗車券に記載の着駅)まで運んだ場合でも、その旅客が列車内の衛生状態の悪さが原因で病気になったり、治安が悪いせいで暴力行為などの犯罪被害に遭ったりしたら、入院が必要になったり死亡したりして、移動の目的を達成できなくなってしまうケースが生じうる。そのような状態では、JRは、旅客と締結した運送契約上の法的な責務を履行したことにはならないと考える。これは宅配便の業者が「荷物の中身を壊したり傷つけたりしてしまっても、先方へ届けさえすれば問題ない」と主張するのが間違っているのと同じだからである。 つまりJRが、禁煙推進学術ネットワーク発出の要望書での指摘によって、新幹線の利用者が残留タバコ煙に起因する受動喫煙で健康被害を受ける可能性があることを認識し予見できていた状況で【注11】、現に残留タバコ煙に起因する受動喫煙被害を受けた(A車掌がその事実を確認している)筆者から運賃や新幹線特急料金を徴収した (返金に応じなかった)のは、JRが筆者と締結した運送契約において、債権の回収(運賃等の徴収)のみを行い、債務の履行(筆者を途中で病気や怪我に遭わせることなく目的地まで運ぶ)を怠った状態であり、「危害防止・安全運送義務違反」に当たる【注12】。 つまりJRが筆者から徴収した運賃等は、運送契約上の債務不履行によって得た不当利得に当たり、民法第703条 に基づく返還請求の対象になる。 JR西日本が2019年8月29日付の回答書【甲10号証】で、自らの債務不履行を棚に上げて、筆者が請求した不当利得の返還に応じる義務は無いとして筆者を突き放したのは、消費者契約法第8条 で無効と定める「事業者の債務不履行により消費者に生じた損害を賠償する責任の全部を免除し、又は当該事業者にその責任の有無を決定する権限を付与」した状態そのものであり、違法だと言わざるを得ない【注13】。 3.JRは、東海道〜山陽〜九州新幹線でのみ喫煙ルームを存置し続けることに一体どのような合理性・正当性があるのかについて、説明責任逃れを一方的に正当化している(裁判所もそれを容認してしまっている) 同じ新幹線でも、JR東日本管内の各線では、2007年3月のダイヤ改正で全列車完全禁煙を達成している(直通運転を行っている北陸新幹線と北海道新幹線も含む)。 更にJR旅客6社は、2012年3月のダイヤ改正で、全国の在来線昼行特急列車の全列車で完全禁煙を達成している(例外は夜行寝台列車「サンライズ瀬戸・出雲」のみ)。 そして、これら在来線特急列車の中には、始発駅から終着駅までの所要時間が新幹線より長いものも存在している(44〜45頁の【表】、【甲68号証】)。 2022年3月12日現在、喫煙ルームがある新幹線列車で所要時間が特に長いのは、 ・博多→宮崎空港「にちりんシーガイア5号」の5時間49分 ・鳥取→米子「スーパーおき5号」の5時間31分 ・札幌→網走「オホーツク3号」の5時間30分 である。 つまりJRは、在来線特急列車では喫煙者に対して最大5時間49分もの禁煙を我慢するよう求めている一方で、逆に新幹線では望まない受動喫煙を避けたい者に対して最大5時間28分もの(残留タバコ煙に起因する)受動喫煙の我慢を求めているわけである。そしてJRは、この両者の矛盾(整合性が無いこと)について、一体どのような合理性・正当性があるのかを、何も説明していないのである。 喫煙者が、在来線特急で最大5時間49分の禁煙を我慢できるのであれば、新幹線でそれより短い5時間28分の禁煙を我慢できないはずがないことは、誰でも容易に理解できよう。 筆者は第1審の段階で、この矛盾に係る求釈明を、JRに対して行っていた。 ところがJR側の代理人の西出智幸弁護士は、2020年11月26日に開かれた第1審の弁論準備手続(進行協議とも言う。非公開)の席で、上記の矛盾に係る筆者からの求釈明について「回答する必要は無い。後は裁判所がどう判断するかです」旨の、開き直る答弁を行った。 これに対して筆者はその場で「回答する必要が無いと考える理由は何ですか?」と追及したが、JR側は回答せず、また担当の藤永かおる裁判官も筆者の質問を無視して(JR側へ筆者からの質問に答えるよう促すことなく)審理を先へ進めてしまった。 藤永裁判官のこのような訴訟指揮方については、民事訴訟法第149条 で定める釈明権の不行使、ひいては必要な審理を尽くさない、裁判所の手続違反である疑いを、否定できないものである。 4.喫煙ルームを設置することは、(残留タバコ煙に起因する)受動喫煙の被害者の人格権よりも、その加害者である喫煙者の人格権のほうを優越・優遇させることである 喫煙終了後の喫煙者の呼気を測定したところ、喫煙終了から約45分間にわたって、残留タバコ煙に起因するガス状物質(TVOC: Total Volatile Organic Compounds 、総揮発性有機化合物)が検出され続けたとの実験結果が報告されている【注14】。これは喫煙終了から約45分間は、残留タバコ煙に起因する受動喫煙が発生し続けることを意味している。 【図7】喫煙終了後の呼気に含まれるガス状物質の濃度変化。喫煙後、5分毎に息を測定器へ吐きかける方法で測定したもの。【注14】で記した論文から【甲66号証】へ引用。 しかし新幹線列車内で、喫煙を終えた乗客を、喫煙ルームでも客席でもない場所で45分間も待機させようとしても、そのような部屋を確保するのは困難であるし、仮に設置しても従う乗客はほとんどいないであろう。 よって、残留タバコ煙に起因する受動喫煙の発生を防ぐには、喫煙できる場所を廃止し列車内を完全禁煙とする以外に方法が無い。したがって、喫煙者の人格権(いつでもどこでも自由に喫煙したい)【注15】と、非喫煙者の人格権(望まない受動喫煙の強要=「煙の暴力」を避けたい)とは、そもそも同時に同じ空間で共存させ ること自体が不可能な関係にあると言える。つまり、JRが言う「タバコを吸われるお客様と吸われないお客様の双方に車両や駅を快適にご利用いただく」【注16】ことは、そもそも実現が不可能なのである。 ここで留意すべきは、一般論として「(残留タバコ煙に起因するそれに限らない)あらゆる受動喫煙が発生する場面では、喫煙者は常にその加害者であり、非喫煙者は常にその被害者である」と言うことである。つまり受忍(我慢)を求めるべき本来の対象は、加害者である喫煙者が喫煙することに対してであって、被害者である非喫煙者が受動喫煙に晒されることに対してではない。 このことと、上に記した喫煙者と非喫煙者との間に生じる人格権の競合の問題とを踏まえると、JRが、残留タバコ煙に起因する受動喫煙という人権侵害行為の加害者である喫煙者側の希望を優先させて、今後も新幹線列車内に喫煙ルームを設置し続けようとするのは、残留タバコ煙に起因する受動喫煙の被害に苦しみ続けている非喫煙者の救済を怠る不法行為(人権侵害行為もしくは人権侵害不作為)であると結論づけざるを得ないのである。 受動喫煙の問題に限らない私人間のトラブルにおける一般論として、加害者側と被害者側との利害が対立する事案において、仲裁役の第三者が加害者側の利益を優先させる(加害者側に得(いい思い)をさせ被害者側に損(嫌な思い)をさせる)のは、公序良俗と公共の福祉に反する不法行為である【注17】。 よって「のぞみ138号」で、筆者とトラブルになった男性にではなく、筆者のほうに席の移動を指示したA車掌の采配もまた不法行為であり、民法第709条 に基づく損害賠償(慰謝料)請求の対象になると言える。。 1.喫煙ルームは、健康増進法第33条および健康増進法施行規則第16条で定める設置要件を満たしているから、廃止すべき義務は無い JR3社は、それぞれの車両基地で、喫煙ルームの扉を全開した状態で気流を測定する実験を行った結果を示し「気流は常に室外から室内方向へ流れているから、タバコ煙が室外へ漏れ出ることは無い。したがって設置要件を満たしているのだから廃止すべき法的な理由は無い」旨を主張した【注18】。 JR西日本は、「筆者が『のぞみ138号』では車掌の指示に従っておいて、後から車掌の指示を批判し慰謝料を請求するのは、失当(的外れ)である」旨を主張した【注19】。 車両基地内での無人状態での気流測定実験では、営業列車内で人が喫煙ルームに出入りする(特に退出する)際、喫煙ルームから退出する人に引きずられるようにして室外へ向かう気流の乱れが発生すると言う科学的事実を無視している【注20】。これは街中の公共施設で、無人の深夜に設置要件を満たしていれば、大勢の人が来 訪する日中には設置要件を満たさない喫煙ルームであっても問題ないと言っているのと同じであり、明らかに不当である。 この気流の乱れの存在を証明するため、筆者は営業列車内の喫煙ルーム内で、タバコ煙に見立てた紙吹雪を頭上に撒いてすぐ退出し、紙吹雪が喫煙ルーム外の通路の床にも散乱した様子を撮影することで、退出時に室外へ向かう気流を可視化した動画を複数撮影し、喫煙ルームは健康増進法施行規則第18条の1で定める技術基準を満たさない違法な施設であることを示した【注21】。 【図8、9】喫煙ルームから人が退出したときに発生した気流の乱れを紙吹雪で可視化した画像。上の【図8】は2020年に製造したN700S、下の【図9】は2009年に喫煙ルーム設置改造を行った500系で撮影。それぞれ○印で示した部分に紙吹雪が落ちている。N700Sで撮影した動画は 【甲58号証】、500系で撮影した動画は【甲62号証】、紙吹雪が落ちている場所をわかりやすく示すための画像は【甲54号証】。(いずれも筆者撮影) そもそもそれ以前に、喫煙ルームには、残留タバコ煙に起因する受動喫煙(喫煙者が自分の肺にタバコ煙を充満させて客席へ持ち出し、そこで吐き出す)を防止するための機能は、何も無い。 このことを踏まえると、鉄道車両などの公共施設に喫煙室を設置することができる旨を定めた 健康増進法第33条 は、残留タバコ煙に起因する受動喫煙被害を誘発する根本原因であることから、望まない受動喫煙を避けたい者の人格権、すなわち「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」を侵害する、憲法違反の規定であると言わざるを得ないのである。 第1審(東京地方裁判所・令和元年(ワ)第33338号。当初は川ア学裁判官、途中から藤永かおる裁判官に交代し、藤永裁判官により判決) 筆者の主張をすべて退け、原告側全面敗訴の判決を言い渡した。 筆者が主張する「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」を人格権の一形態としては認めたものの、残留タバコ煙に起因する受動喫煙は受忍限度の範囲内である(判決書8頁18〜24行目)として、その防止の必要性を認めなかった。 控訴審(東京高等裁判所・令和3年(ネ)第2603号。当初は鹿子木康裁判長、大西勝滋裁判官、田原美奈子裁判官。途中から大西裁判官が伊藤清隆裁判官に交代し、鹿子木、田原、伊藤の3名により判決) 第1審判決を支持し、再び筆者の主張をすべて退け、原告側全面敗訴の判決を言い渡した。 (1)健康増進法第26条でその防止に努めるべきと定めた受動喫煙には、残留タバコ煙に起因するそれは含まれないとしたが、その理由は示さなかった(判決書6頁19行目〜7頁2行目)。 (2) 実際の新幹線列車内の喫煙ルームでは排気装置による室内の減圧が行われているが、【甲51号証】では喫煙室内を減圧しない設定でシミュレーションを行っており、本件訴訟では証拠として無効であるとした(判決書5頁14〜21行目)。しかしその一方で、室内を減圧した環境で行った実験の様子を撮影した動画【甲57号証】は証拠として採用しなかった。 (3) 残留タバコ煙に起因する受動喫煙の防止に係る運送契約上の債務不履行が消費者契約法に抵触している旨の筆者の主張については、JRがそのことを書面で明示しているわけではないから本件事案には当てはまらないとした(判決書7頁18〜25行目)。 (4) 1審判決が非喫煙者の人格権よりも喫煙者の人格権のほうを優越させたことへの異議(喫煙者が禁煙を受忍するのではなく非喫煙者が受動喫煙を受忍すべきだとしたことへの不服)、および第1審での筆者の求釈明に対するJRの回答拒否に係る手続上の疑義(藤永裁判官の釈明権の不行使)については、判断を示さなかった(説明責任を放棄した)。 上告審(最高裁判所・令和4年(オ)第782号および令和4年(受)第972号。第2小法廷に付託、草野耕一裁判長、三浦衛裁判官、岡村和美裁判官の3名により決定) 上記3名の全員一致で上告棄却(不受理)とされた。その理由は、民事訴訟法第312条で定める上告理由の要件(憲法違反、判例違反、手続違反のいずれか1つ以上があること)を満たしていないためとされた。 1.JR側が、受動喫煙の防止に係る自らの責任逃れを一方的に正当化し、筆者に限らない新幹線利用者の心情を傷つけ、利用者との信頼関係を自ら毀損する言動を行ったこと 既に記したとおりJR側は第1審で、筆者からの求釈明(東海道〜山陽〜九州新幹線でだけ喫煙ルームを存置させていることの不合理についてなど)に対する回答を拒否した。これは望まない受動喫煙を避けたい新幹線利用者の「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」を否定したものであると同時に、筆者と同様に残留タバコ煙に起因する受動喫煙の被害に苦しんでいる多くの新幹線利用者の心情を傷つけるものでもある。 これは筆者に限らない、望まない受動喫煙を避けたい新幹線利用者にJRへの反感を抱かせ、国民の鉄道離れを通してモータリゼーションの深度化や地球環境の悪化などをも促す原因にもなり得る点で、反社会的な態様として非難されるべきである。 第1審の担当裁判官による釈明権の不行使が、JR側の違法・不法行為にお墨付きを与えると言う悪しき前例を作ってしまったこと 上に記した、JR側が筆者からの求釈明への回答を拒否した場面で、藤永かおる裁判官がJR側の答弁方を咎めることなく、筆者が当該求釈明で指摘した疑問を置き去りにしたまま、当該求釈明に係る行為の合法性・合理性の立証を拒絶したJR側を全面勝訴させる判決を出したのは、JRの「逃げるが勝ち」の無責任かつ不誠実な対応方を容認する、悪しき前例を作ってしまったものであり、司法史に汚点を残した不当判決として、担当裁判官の氏名と共に永く記録・記憶されるべきものである。 非喫煙者(受動喫煙の強要と言う不法行為の被害者)の権利よりも喫煙者(同じ不法行為の加害者)の権利のほうに優先・優越権があるとする、司法史に汚点を残す判断を確定させてしまったこと 第1審判決では【甲40号証】について、(非喫煙者が)「喫煙ルームに近い席を避けることができるシステムが導入されている」(判決書10頁12〜13行目)と言う、事実誤認に基づく歪んだ解釈(喫煙者が喫煙ルーム付近席でない一般の禁煙席に割り込んできて残留タバコ煙に起因する受動喫煙を発生させると言う問題のすり替え)に基づいて「原告(筆者)の主張を認めることはできない」と述べている。 また控訴審判決では、人が喫煙ルームから退出する際に発生する、室内から室外へと向かう気流の問題に関連して、【甲51号証】では排気設備による室内の減圧を行わない設定になっている旨の不備を指摘する一方で、排気設備による室内の減圧を行った環境で行った実験の動画【甲57号証】については言及していない、すなわち証拠として採用していない。 これらの事実はいずれも、先に棄却の結論ありきで、証拠の取捨選択や解釈を裁判官の都合に良くなるよう恣意的に行った疑いを抱かせるものである。 これらは学術的知見を無視して「受動喫煙を我慢できないほうが悪い、非喫煙者(受動喫煙の被害者)よりも喫煙者(加害者)のほうが偉いのだ」と加害者側の味方をする悪しき前例を作ってしまったものであり、不当判決以外の何物でもない。 4.裁判所が、列車内での受動喫煙防止を怠ることが運送契約上の債務不履行であり消費者契約法違反である旨を認めなかったこと この問題について控訴審判決では「JRが『利用者が乗車中に受動喫煙に晒されてもその被害の補償はしない』旨を運送約款で明示していれば同法に抵触するが、本件訴訟ではそうではないから同法には抵触しない」と解釈できる記述をしている(判決書7頁18〜25行目)。しかし、だとしたらJRにとって不都合な事柄はすべて明文化せず「後出しジャンケン」で処理すればよいと言う話になってしまう。つまり裁判所が自ら、 消費者契約法第4条の2で禁じるいわゆる「不利益事実(乗車中の受動喫煙被害に対する救済措置は取らない旨)の不告知」を容認した形になってしまっているわけで、この点からも不当判決と言うほかない。 裁判所が「鉄道車両内などに喫煙ルームを設置することを認めている健康増進法第33条は、残留タバコ煙に起因する受動喫煙の健康被害を誘発し、望まない受動喫煙を避けたい国民の人格権を侵害している点で、憲法違反である」ということを認めなかったこと 裁判所の権能の1つに「違憲立法審査権」がある。これは国会(立法府)で定めた法令が日本国憲法に違反していないか否かをチェックする機能であり、裁判所が憲法違反だと認定した法令は効力を失う。 本件訴訟で筆者が問題視している、JRが新幹線列車内に喫煙ルームを設置していることの法的根拠は、鉄道車両を含む公共施設の管理権原者に対して一定の条件の下で喫煙室の設置を認める旨を定めた、健康増進法第33条 である。この第33条があるからこそ、JRが列車内に喫煙ルームを設置し、喫煙者がそこで自分の肺にタバコ煙を充満させて禁煙の客室へ持ち出し、そこでタバコ煙を吐き出すことによって、残留タバコ煙に起因する受動喫煙(望まない受動喫煙を避けたい者の「受動喫煙の害に晒されることなく目的地まで移動できる権利」を侵害する事象)を発生させているのである。要するに、残留タバコ煙に起因する望まない受動喫煙を避けたい者の人格権が侵害される問題を引き起こしている根本原因が、健康増進法第33条の存在なのである。 ところが最高裁は、本件上告を「憲法違反などの事由が存在しない」との理由で棄却(不受理)している。これは最高裁が、健康増進法第33条(に由来する、残留タバコ煙に起因する受動喫煙の強要)は憲法違反ではないと判断していることを意味している。 更にこれは、JRや下級審判決が受動喫煙の被害者の人格権を加害者のそれよりも格下扱いしたり、第1審の担当裁判官がJRの求釈明回答拒否を咎めない(自らの主張の合法性・合理性を立証するよう促さない)ままJR側全面勝訴の判決を出したりしたことは、いずれも憲法違反や手続違反には当たらないと判断したことをも意味している。 これらの点からも、最高裁の決定は道理に背いた不当なものであると言うほか無い。 本件訴訟を通して明らかになったのは、「新幹線の利用者が(残留タバコ煙に起因するものを含む)受動喫煙被害に遭っても知りません、被害者の救済も再発防止もしません」というJRの姿勢である。これは鉄道施設内での迷惑喫煙に抗議した人が、逆ギレした喫煙者から腹いせの暴力行為を受けると言う犯罪被害が繰り返し発生するたびに、鉄道事業者が「マナーの呼びかけの強化」と言う、実効性が無いことが既に明らかになっている再発防止策しか示さない問題とも、同じ構図である。 求釈明への回答を拒否した件に象徴される、本件訴訟におけるJRの無責任かつ不誠実な言動は、JRのコンプライアンス(法令遵守)意識を疑わせるのは勿論、「自分と同じ理不尽な思いをする人を二度と出さないで欲しい」と言う当然の被害者感情を踏みにじることによって、受動喫煙の害に苦しんでいる利用者の気持ちを傷つけ、利用者との信頼関係を自ら毀損するものである。 JRのこのような姿勢に反感を抱いた国民が、新幹線の利用を忌避して航空機・高速バス・マイカーなどへ逸走すれば、JRのためにも地球環境のためにもならない。これではJR が自ら新幹線の顔に泥を塗っているに等しい。 要するに「JRには社会の公器たる新幹線の事業者としての自覚(新幹線利用者の基本的人権を尊重すべき企業倫理の欠如もしくは希薄さ)に問題があり、それが(かつて筆者が指摘した)『交通事業者による交通権侵害』の根本原因になってしまっている」と結論づけざるを得ないのである。そう考えなければ、JRが代理人弁護士に筆者からの求釈明への回答を拒否する答弁をするよう指示したり、「のぞみ138号」でのトラブルでA車掌が感情的になって声を荒げる喫煙客の言いなりになってしまい、周囲の迷惑を考え大声を出すのを我慢していた筆者に馬鹿を見させる采配をしたりした理由も、説明できないであろう。JR西日本が、こういう車掌に「指導車掌」の肩書を与えていたのも、上に記した社会規範意識の低さの反映であるとしか、筆者には思えない。 更に裁判所も、受動喫煙防止に係る説明責任を放棄し開き直ったJRを勝たせる判決を出すようでは、いつまで経っても、望まない受動喫煙を避けたい国民に対する人権侵害に、歯止めをかけることができない。これでは裁判所も、受動喫煙防止の必要性を否定したJRの共犯者でしかない。本件訴訟を担当した裁判官は、JRと共に、我が国の人権擁護水準の低さを世間に晒したことによって、WHO(世界保健機関)をはじめとする世界中から非難と嘲笑の対象とされてもやむを得ないことを、覚悟すべきであろう。 残留タバコ煙に起因する物も含む受動喫煙の健康被害を繰り返し発生させ、その垂れ流しを放置するのを是とするJRと裁判所とは、一体何なのか。 筆者は、本件訴訟にまつわる一連の経過については交通事業者の反面教師として永く記録・記憶されるべき必要があると考え、本稿を上梓した次第である。 筆者が、JRを非難する内容の本稿を上梓せざるを得なかったのは、幼い頃から鉄道を愛してきたレールファンとして余りにも残念なことであり、また鉄道に期待される社会的役割・使命にも絶望せざるを得ないのである。 【注1】 【注2】 【注3】 【注4】 【注5】 【注6】 【注7】 【注8】 【注注9】 【注10】 【注11】 【注12】 【注13】 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